Past Presence
それはピューリッツアー財団への旅から始まった。2005年の春、私の「建築」シリーズの撮影のため、新築なった安藤忠雄建築の撮影に出向いたのだ。私の「建築」シリーズはモダニズムの名作建築を、大型カメラで撮影し、かつ意図的に焦点をぼかすことによって、建築家の脳内に浮かんだ原初の設計意図を再現しようという試みだった。なぜならば現実に建てられた建築物は、現実との妥協の結果であるからだ。予算、工期、構造、などの制約により建築は現実となる。しかしその制約の内にも、名建築はその原初の理想型をその姿のうちに潜ませている筈だ。理想の形は設計の初期段階で建築家の脳内に朧げに現われる。その姿は朧げな焦点の内に現われる筈だと私は確信したのだ。
ピッツバーグのピューリッツアー財団を訪ねてみると、安藤建築はリチャード•セラの巨大彫刻と一体となって設計されている事が判った。この彫刻をどの視点から見るかが美術館側の窓の位置を決めていた。私はこの厚い鉄板の曲線からなる「ジョー」と名付けられた彫刻を、建築として扱い、同じ手法で撮影することにした。アートは建築とは違い予算、工期、構造、の制約は少ないはずだ。しかし私はアートにおいても、理想型と現実作品にはある種の乖離が存在するのではないのかと思うのだ。三次元の立体が二次元の写真に置き換えられ、さらに焦点が曖昧模糊となるとき、その生々しい存在感は希薄され、その重厚な重力感は更に希釈される。その像はアーティストの脳内に現われ出た幻像に近いものではないのかと私は思うのだ。私は写された画像をリチャード•セラに見せて、その感想を聞いてみた。セラは言う、この写真は全くもって君の作品である。これは肯定なのであろうか、否定なのであろうか。私は肯定であることにして、ジョナサン•サフラン•フォーの詩文をそえて作品集「ジョー」として出版した。
二回目の転機は8年後の2013年に訪れた。MOMA からの彫刻庭園撮影のコミッションが来たのだ。フィリップ・ジョンソンの設計になるこの彫刻庭園には、モダニズム彫刻の名作が並べられている。私は「ジョー」の撮影に準規して彫刻庭園の撮影に臨む事にした。数ある名彫刻の中で、まず私の眼を引いたのはジャコメッティの彫刻だった。その研ぎすまされたフォルムは、人間の肉体から肉の部分を削ぎ落して、さらに残るもののみを、極限の状態で表すことに成功しているように思われた。私は私の写真によるアプローチが、すでにジャコメッティの彫刻においては成就されているのではないのかと、思わざるを得なかった。私はこのジャコメッティの彫刻に二度カメラを向けてみた。昼日中の白日の時、そして夕暮れ時の薄明の時。私は能舞台上に現われる、二人の人物像を思った。能舞台では死者の魂が復活して現われる様を描く。前シテと呼ばれる前半では、土地の者が死者の変わり身となって、死に至った無念の情を述べる。そして後シテの後半では、その死者の亡霊が再び現われ、成仏できずにいる苦渋の舞を舞う、という設定だ。演劇のうちに死者の姿を垣間みる、そのリアリティーがどれほどのものであるかは、演技の迫真力とともに、鑑賞者の心眼の力量にも追う所が多い。私はジャコメッティを写しながら、能舞台を見る心持ちがした。能舞台では過去が今として(Past Presence)蘇るからだ。私はこのジャコメッティからの啓示を得て、次々に他の作品群にも挑んでいった。