OPERA HOUSE
演劇史は文明史と共に始まる。人類意識の誕生と共に、始源のもどきが仮想され、神話が生まれた。神話は祭祀として繰り返し演じられることによって、その信憑性を確たるものにした。
アメリカに文明があるとすれば、それはヨーロッパの模倣から始まった。1920年代のバブル期、アメリカ各地にはヨーロッパのオペラ劇場を模し、さらに巨大化し、出所不明の古代文明風の装飾を取り込んだ、神殿空間風映画館が多数作られた。映画の発明はヨーロッパにあったが、アメリカは即座にそれを自家薬籠中のものとし、殆ど自国文明の礎とするに至った。神話を持たない新興国家は、映画を神話としたかのようだ。
私は模倣のもととなったヨーロッパの劇場を訪ねることにした。1508年パラディオ設計になるシアターオリンピコから始まり、18世紀にかけて北イタリアを中心として華麗なる劇場が多数建てられた。神話が捏造されたフィクションであるならば、映画もまたリアリティーを捏造されたフィクションである。私はスクリーンを持たない古典劇場にスクリーンを架け、イタリア映画の古典名作を映し、映画1本分を露光した。スクリーンは白光化し、何者かの顕現のようにも見える。それは古代において、演じられた神話が人々の心の内にリアリティーを持って行く過程に似ている。私は演じられた映画のストーリー要約を各作品のタイトルとした。その映画が悲劇であれ、喜劇であれ、無意味であれ、話の要約はいつも同じフレーズで終わる。「どこにでもある ありふれた話だ」。
- 杉本博司