Revolution
崖の上に立って海を見る、それが長い間私の仕事となった。海は水平線によって空に接する。その水平線は直線ではなく、大きな弧の一部を成している。私はある日絶海の孤島の頂上に立ったことがある。水平線は私の視界の中でぐるりと一周した。私は一瞬、巨大な水盤の中央に浮いているように感じた。しかし暫しのあいだ、ぐるりと私を取り巻く水平線を眺めているうちに、この大地が水球であることを私は実感した。水平線の果ては、果てしなく広がっているのではなく、水球の淵がはっきりと見えているのだ。
ギリシャ人は我々の住むこの大地が球であると唱えていた。それ以降の中世の人々はこの世界が平面であると信じていた、とする説はどうやら間違で、17世紀以降、プロテスタントのカトリック攻撃の為のキャンペーンとして流布されたらしい。また19世紀には、ダーウィンの進化論に関わる論争で、宗教と科学が相反するものであるというコンフリクト命題が流布され、中世がいかに非科学的で暗黒の時代であったかを象徴する意味で、地球平面説が利用されたふしもある。しかしコロンブスがアメリカ大陸にまで至り、ついにマゼランによる地球回周が成し遂げられて、大地が球である事が実証される以前から、中世の知識人達は大地が球である事を支持していた。むしろより大きな問題は。はたして大地が動いているのか、天空が動いているのかという問題だ。人の実感としては、大地が静止していて星や太陽が動いているように思うのは当然であろう。私が古代人だったらそう思ったであろう。
私は子供の頃よく夢を見た。夢の多くは空中浮遊する夢だ。時に私は私の体を離れて、私の視点だけが眠っている私の姿を眺めながら天井近くへと浮いていくのだ。幽体離脱と言うのだろうか、醒めている自分と眠っている自分が同時にいた。私は大人になってからも、醒めていながら空想に遊ぶという性癖を身につけた。この性癖は私のアーティストとしての資質の根幹をなしているように思える。
自分自身を俯瞰する視点は、世界を相対化して見ることのできたコペルニクスやガリレオの持ち得た視点である。人が世界を理解しようという大それた野望を持つようになったのは、おそらく数万年前のことだろう。私のいる大地を中心にして天球が巡るという天動説は、人の感覚からすればごく自然で受け入れやすいものだ。しかし絶対と思われていることを相対化してみる視点、真理と思われているものを疑う姿勢、それこそが真理を覆し新しい真理へと導く方法なのだ。天動説よりも地動説の方が、各惑星間の運動についてより合理的な説明がつく。つまり人間の感覚的な実感よりも、空想上の実感の方が真理であるということになったのだ。はたして宇宙の法則は人間の脳内で発見されるのであろうか。脳と外界との関係は、カメラとその映像との関係にも似ている。投影される像は虚像であり常に倒立している。歴史の流れの中で真理と思われていたものは、次々に新しい真理に裏切られ続けてきた。ブラックホールの観測精度の向上や、ヒッグス素粒子の発見などによって、我々は第二、第三のコペルニクス的転回に迎えられるのであろう。私達が今信じている科学的知見や法則性もいつ裏切られるか知れたものではない。私達が天動説を生きた人々を思うように、数百年後の人類から、私達は無知蒙昧に生きた人々と思われるのであろう。しかし、もしその頃に人類が生き延びていたらの話だが。私達が世界を理解すること、すなわち説明できることと、私自身が何者なのかを説明できることには距離がある。世界は説明できることより、説明できないことの方が多い。そして人はどちらかというと説明できないことの方に惹かれる。宗教と芸術が再び科学を疑ってかかるような時代が、または科学が最後に信じうるべきものを、宗教的な判断にゆだねるような時代が、近いような気がする。
1982年の初夏、私はカナダ、ニューファウンドランド島の断崖にいて、美しい日没と同時に東の空に満月が登るのを眺めていた。私はその荒涼とした崖の上に立って、キャスパー・デービット・フリードリッヒの画中人物になったような気分になった。その時私は久しぶりに幽体離脱の感覚に捕われた。私は地表から遠く離れて、海に浮かぶ月を眺めている自分を感じた。その時、もう一人の私は、地表上に取り残された小さな点になった。
- 杉本博司