JOE 2064, 2004

JOE 2053, 2004

JOE 2134, 2004

JOE 2111, 2004

 

JOE

 

 

(前略)

それからしばらくして、セントルイスのピューリッツァー財団からの申し入れがあった。安藤忠雄の設計による美術館が完成したので、私の続けている「溶ける建築」の一環として、可能性を探るために見に来ないかということだった。早速出向いてみて隈無く見て回ったのだが、この美術館そのものの設計過程がユニークである事を知らされた。この美術館のコレクションの中核を担う二人の作家、リチャード・セラとエルスワース・ケリーの指名によって、当時はまだアメリカでは名が知られていなかった安藤忠雄が推挙されたのだ。美術館の中庭にはセラの代表作の一つとなるトルクスパイラルという巨大な鉄板の彫刻がコミッションされていて、この彫刻と折り合いよく調和する建築が要請されて設計されたのだ。もちろん美術館内部にはケリーの作品が鎮座している。私は安藤建築の仕上がりに見とれながら、中庭にコンクリートの建築をも威圧するように設置されたセラの彫刻に磁場のようなものを感じて吸い寄せられた。二日間この彫刻と対峙して、私はこの彫刻作品を本歌と見立てて、また彫刻を建築とも見なして、私自身の作品に転換するという作品の姿が見えてきた。不思議なことにこの彫刻が一番美しく整って見える視角を探し続ける間に、視点は低く低く下がっていき、ついに地上三十センチほどにまで下がってしまったのだ。考えてみるとこれは犬の視角なのだった。人間の眼には四メートルほどの彫刻でも、犬にしてみれば十階建てほどの建築のように見えるだろう。もし私が豆粒のようなカメラを持っていれば、蟻の視角というものもあり得るだろう。多分その場合には 百十階建てだったワールド ・トレードセンターをも凌ぐような視角になるのだろうかと思いつつ、撮影を終えた。ニューヨークに帰り、作品として仕上げ、満足した私は、リチャード・セラにも見に来てもらい反応を窺った。セラはひとこと「これはお前の作品だ」と言って快く出版の同意をとりつけることができた。こうして作品に関してはいっさいコメントつけずに作品はジョナサン・サフラン・フォァの手に渡り、それらの像から言葉を紡ぎだすように託したのだ。 図版はすべてで三十八点、この彫刻はこの美術館の発案者であり、計画中に他界したピューリッツァー氏の名を取って「JOE」と命名されているので、ジョナサンも短編のタイトルを「JOE」として書き終えた。ストーリーは 三十八点の図版に合わせて展開していくという絵本といえなくもない、見た事の無いような本になった。そして案の定、話の中には犬が登場していた。

(中略)

ある意味ではデュシャンがレディメイドで日常から意味を剥離しようとして、そしてそれに再び意味を与えようとした行為は、私が写真を通じて行おうとしていることと、関連しているのではないのかと思える。いわば何気ない日常を本歌としてその意味を組み替え、新たな世界を創造する。それが写真を通じての本歌取りと名付けても良いような気がするのだ。

(後略)

 

- 杉本博司

本歌取り 「現な像」 新潮社 より抜粋

 

 

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