クアトロ・ラガッツィ
2015年の春、私は生涯の仕事として取り組んできた劇場の撮影のため、ヨーロッパ各地を巡っていた。私はヨーロッパのオペラ劇場の最古の姿を今に留める、アンドレア・パラディオ設計になるテアトロ・オリンピコを訪れた。ヴェネト地方のヴィチェンツァにあるこの劇場の内部は、無数のギリシャ風彫像で装飾され、ロビーにも美しいフレスコ画が天井回りに描かれていた。劇場の支配人は私にこのフレスコ画の一面を指差し、この絵は1585年の劇場開館の年に、日本からの 使節がローマへの途路、ここに立ち寄って歓迎を受けた場面を描いたものだと説明された。よく見ると日本人らしき4人が最前列に描かれている。私のこの4人が天正遣欧少年使節団であることを知った。
俄然、私は少年使節のイタリアでの足跡に興味を覚え、その足取りを探って見ると、リボルノから上陸しピサからフローレンス、シエナを経てローマへ、その後アッシジからベニスへと向かっている。私はローマのパンテオン神殿もピサの斜塔もシエナの大聖堂も撮影している。これらの建物は少年使節が来た時にはすでにあった建物だ。私は偶然にも少年達が見たその建物を私も自分の眼で今見ているのだということに気が付いた。私は遥かな時代のかなたから声を聞いたような気がした。「私達が見たこのヨーロッパの風景を、今一度あなたにも見てもらいたい」という声を。その声は冥界からの声なのか私の心の声なのか、どこかで響き合い、木霊となって聞こえて来た。
私は今まで偶然にも辿った少年使節の足跡に加え、意図的にさらにその足跡を尋ね撮影を続けることにした、偶然が必然をうながしたのだ。400年以上の歳月が過ぎ去った今、どこまで当時の姿が再現できるかは不明だ、しかし私は人気の無い満月の下の深夜のパンテオン、閉館中の城館ヴィラファルネーゼの螺旋階段室、夜明け前のフィレンツェ大聖堂、そして今は博物館に展示されている初期ルネッサンスの名品「天国の門」を、休館日に人の気配無しに撮影することに成功した。
ローマ法王グレゴリウス13世は、天正少年使節をキリスト生誕時に東方から博士が来訪してキリストを礼拝した秘蹟の再来として迎えた。日本人が初めて知る西洋、そして西洋人が初めて知る日本。私の血の中には四百数十年前の双方の驚きが、未整理のままに流れている。私は私の精神の出自を訪ねて、目視確認の為の旅をまとめた。
- 杉本博司