Roofline of Lacock Abbey, Most Likely 1835-1839,   2008
                                                       

Buckler Fern, March 6, 1839 or Earlier, 2008                 

Woodshed at Lacock Abbey, 1840,   2009

Believed to be Mlle. Amélia Petit, Talbot Family Governess, circa 1840-1841,  2009                                                

 

光子的素描 (フォトジェニックドゥローイング)

 

 


凡庸なる才能の欠如が偉大なる才能の開化へと繋がることがある。19世紀初頭イギリスの名門貴族の子として生まれたフォックス・タルボットに素描の才能が欠落していたことが、タルボットをしてネガポジ法の写真術の発明へと導いたのだ。絵が描けないというタルボットのフラストレーションは、かわりに機械に絵を描かせることにしようと思わせたのだ。また日常のささいな現象の観察が意外に大きな発明へと結びつくことがある。タルボットは1833年の秋、イタリアのコモ湖で新妻のコンスタンスを伴って滞在していたが、その時に日光浴をしていて自分の肌が小麦色に焼けるのを見ていて気がついたのだ。「太陽の光は物質を変化させる」ということに。この発見からタルボトは塩化銀の感光性を利用して感光紙を作りカメラオブスキュラと合体させて写真を発明したのだ。 

このタルボットの写真研究のごく初期の実験成果を見てみると、そこには物の形が光によって紙の上に転写することが出来るという期待と驚きが、そのぼやけて虚ろな像から滲み出しているように思える。そこにはなにやら古代の呪術的な宗教儀式めいた、死者の霊を呼び起こすような趣きさえ感じられる。1834年から始まった実験は1841年にはネガポジ法のカロタイプとして一応発表されるのだが、技術が高まり映像がよりクリアーになってくるにつれて、なぜかこの初期にあった神秘感は薄らいでゆく。初期の実験は植物の形を感光紙の上に直接に写す試みであったが、やがてカメラオブスキュラにこの感光紙を挿入する実験も始まる。もちろん初期の実験では結果はすべて陰画(ネガ)として現れるのだが、物の形が写るという驚きだけでも充分にタルボットの好奇心は満足されたのであろう、その後陽画(ポジ)が数多く作られるようになるのは1840年代後半になってからである。私は写真史上おそらく陽画が作られることが無かったであろうと思われる初期のタルボットのネガを収集することにした、そしてそれらのネガからタルボットさえ見ることの無かったプリントを作ってみたいと思い立ったのだ。初期のタルボットのネガの多くは美術館の暗い収蔵庫の中で保管され公開されることはほとんど無い。画像の定着方法が不明だった頃のネガは少しでも光にあてられると変化してしまう危険に常に晒されている。私はそのリスクを冒しながらも、どうしても写真発明の原点に立ち戻ってその陽画を見てみたくなってしまったのだ。私は古代王朝の墓を発掘する探検隊のような心持ちで慎重に作業を進めた。

 

ー杉本博司

 

 

 

 

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