観念の形
   
 


古代のインドと中国で、数学は始まったらしい。「零」や「無限」は人間が発見したと言

うよりは発明したのだろう。線には長さだけがあって幅がないというのも奇妙だ。私が引

く鉛筆の線は、眼に見えないはずの線を、見えるようにする為の近似値にすぎないのだ。

芸術と呼ばれる作業も、近似値の提示だと私は思っている、見えないはずの世界を見える

ようにするための。

マルセル・デュシャンの残したグリーンボックスのメモ類の中にも、数学的な記述が散見

される。デュシャンも眼に見えない四次元の世界を、三次元の世界に投影させようとして 、

大ガラスを作ったのだ。三次元の立体が二次元の平面に投影することが出来るように。

私はルネッサンス以来の合理主義精神のもたらした、自然界の科学的な理解方法に、全面

的に賛同するわけではないのだが、その事に強い関心を抱いてきた。特に18世紀、19

世紀、の観測装置や実験器具には、まだ見えてこない仮説に形を与えようとする、強い意

志が見てとれる。私は東京大学に残されていた、明治期に購入された、数理模型と機構モ

デル群を撮影した。数理模型は三次関数の数式を立体的に表したもの、機構モデルは産業

革命時代の機械の動きを示す為の教材である。芸術は芸術的野心のない物にも宿るのだ。

 

 

- 杉本博司